安藤仁子さんと安藤百福さんの間には2人の子供がいます。1947年(昭和22)10月7日に安藤宏基さん、1949年(昭和24)1月26日に明美さんが誕生しています。
安藤宏基さんは大阪教育大学付属池田小中高等学校を卒業して、慶応義塾大学に進み、その後米国のコロンビア大学に留学しました。1973年(昭和48)日清食品に入社しています。
1985年には代表取締役社長、現在は日清食品ホールディングス株式会社代表取締役社長(CEO)を務めています。安藤宏基さんの2人の息子、徳隆さんと清隆さんも日清食品に入社。現在では、それぞれが日清食品代表取締役社長、香港日清執行取締役CEOです。
娘の明美さんは堀之内徹さんと結婚し、現在は日清ホールディングスの持ち株会社(有)インテックリースの取締役社長です。こちらのお子さんたちのデータは現時点で公のデータとしては見つかりません。
現役で活躍する年代ですし、なんらかの形で日清ホールディングスに関わっておられるのではないかと思います。安藤仁子さんの孫に当たる安藤徳隆さんが日清食品の代表取締役社長に就任した時、世襲社長ではないか、と批判する人達もいました。
しかし、息子の安藤宏基さんも徳隆さんも、若い時から積極的に会社の事業に関わっていたうえに、それぞれの持ち味を生かしながら日清食品を大きく育てています。
宏基は百福と経営方針で喧嘩
息子の安藤宏基さんは、父親似の性格で言い出したら聞かないタイプ。子供の頃はイタズラもひどく、あちこちでトラブルを起こしてばかりいたようです。その度に仁子さんはあちこち謝って歩いていたとのこと。
大学卒業後、本当はアメリカ留学でマーケティングを学ぶつもりだったのに、現場主義の安藤百福さんの指令で米国の日清食品の工場に送られ、いつの間にか日清食品の米国の責任者にされてしまいます。始めは日清食品への就職は不本意だったようです。
しかし、チキンラーメンの開発と日清食品の創業を父親のそばで生々しく経験していたせいか、安藤宏基さんは安藤百福さんとは違った視点からビジネスを捉え、独自の角度からその後の日清食品を育てて行くことになります。
カップヌードルの大成功があった後、「カップライス」が売れず、安藤百福さんは代表取締役社長を退き会長に就任、安藤宏基さんが社長になります。宏基さんは今までのトップダウン式の経営を改め、マーケティングを重視します。
そして、社内に「打倒カップヌードル!」を宣言してカップヌードル以上のアイデアを次々に取り上げるブランドマネージャー制度を作り、大胆な改革を行いました。
このことで百福さんとはかなり険悪な関係になったそうで、家にいても喧嘩が絶えず、仁子さんは間に入って苦労したそうです。結局は、カップ焼きそばUFOやどん兵衛シリーズが当たって宏基さんは日清食品を更に大きな世界企業に成長させる事になりました。
食品業界のビートたけし
日清食品のツイッターやYOUTUBEは、若い人をターゲットに過激とも思える発想で展開しています。チキンラーメンやカップヌードルの次世代ユーザーの開拓のために、「食品業界のビートたけし」を目指していると孫の徳隆さんは語っているほどです。
チキンラーメンのヒヨコちゃんがデビルマンのように変身したCMも記憶に新しいと思います。香港日清のホームページを見ると清隆さんもお兄さんと同じようなチャレンジャー的な雰囲気です。これからのお二人の活躍が楽しみですね。
息子の安藤宏基さんは、母親の仁子さんにかなり心配をかけたようですが、その分たくさん叱られていたようで、「鬼のように怖い母」だったと語っています。宏基さんもお金持ちの道楽息子そのもの。
大学生のころはバンドを組んで音楽に夢中になったり、誕生祝いに外車を買ってもらったり、相当はめを外ていたようです。ところがその外車を乗り回していて、大きな事故を起こしてしまいました。
奇跡的に命に別状なく、相手方も無事。仁子さんは病院に着くまで、生きた心地もしなかったと語っています。後日、宏基さんは占い師に「あなたはお母さんに守られている」と言われたそうです。
その時に初めて母親の愛に気がつき、「鬼の母」が「慈母」になったと話しています。仁子さんは、父親似で「わがまま」な宏基さんにはしっかりしたお嫁さんをもらいたいと願っていたそうです。
宏基さんは甲南女子大学出身の荒巻淑子さんと結婚しますが、淑子さんはスポーツと英語が得意なしっかり者のお嫁さんでした。
宏基さん夫妻は東京に住み、息子たちも幼稚舎からの慶応ボーイ。仁子さんは孫たちには甘い優しいおばあちゃんだったようで、運動会に大阪から駆けつける可愛がりようでした。
安藤仁子からのプレゼント
安藤仁子さんは観音様への熱心な信仰心がありましたが、常日頃、夫の安藤百福さんも息子の安藤宏基さんにも信仰心が無いのを嘆いていたそうです。
ところが、孫の徳隆さんに、成人のお祝いに何が欲しいか訊ねたところ、「毘沙門天の仏像が欲しい」と言ったので、仁子さんはたいそう喜びました。すぐに仏師に注文して仏像を彫ってもらい、入魂して徳隆さんに贈りました。
それ以来、その仏像は、徳隆さんの大切な念持仏になっているそうです。親族が代々会社の経営を引き継ぐことはよくある事ですが、日清食品程大きな会社になると、たとえ息子や孫といっても、よほどの逸材でなければ会社を率いていくことは難しいでしょう。
その点、安藤仁子さんの子孫はしっかりとその使命を果たしていると言えます。仁子さんの愛のこもった厳しい教育の賜物なのでしょうね。今もつづく日清食品グループには、安藤仁子さんと安藤百福さんの子孫が残っています。
安藤仁子さんや安藤百福さんの思想や信念を引き継ぎながら、新しいものをどんどん生み出していって欲しいですね。今後の会社の成長にも期待です。
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