まんぷくの萬平(長谷川博己)モデル安藤百福の人生まとめ!


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このページは、NHKの朝の連続テレビ小説「まんぷく」の立花萬平(長谷川博己)の実在モデルである安藤百福さんの人生について詳しく書いていきます。

 

NHKの連続テレビ小説「まんぷく」は、安藤百福さんの妻である仁子(まさこ)さんが夫と失敗を繰り返しながらインスタントラーメンを作り出すまでを描いたドラマです。

 

そこで、ここからは「まんぷく」の立花萬平のモデルとなっている安藤百福さんがどんな人生を送っていったのかを具体的にみていきたいと思います。

 

失敗と成功の繰り返しの若き日々

「まんぷく」のモデル安藤百福さんは、お湯を注げば3分で食べられるチキンラーメンを開発した日清食品の創業者です。その人生は失敗と成功の繰り返し、戦後日本の食文化の発展に大きく貢献した偉人です。

 

「まんぷく」のモデル安藤百福さんは、1910年に当時日本の領土であった台湾で生まれました。幼い頃に両親を亡くして呉服屋の祖父母に育てられた百福さんは、22歳の若さで独立。

 

メリヤスの販売で大成功を収め、幻灯機の製造やバラック住宅の製造、軍需工場の経営など、新たな事業を手掛けていきます。時代の流れをとらえてビジネスに結びつける能力は、若い頃からずば抜けていました。

 

ところが、戦時中に軍需工場で国から支給された資材を横流ししているという罪で捕らえられ、憲兵から45日間にも及ぶ拷問を受けたこともあります。この辺りは、ドラマでも描かれていましたね。

 

終戦後も多くの事業を興していきますが、1948年に脱税容疑でGHQに逮捕されて1950年の無罪釈放まで収監されてしまいました。

 

さらに、1957年には理事長を務めていた信用組合が倒産し、全財産を失って無一文になってしまいます。このとき、「まんぷく」のモデル安藤百福さんは47歳。

 

続けて襲いかかる苦難に挫けることはありませんでした。信用組合の倒産を経験した安藤百福は「失ったのは財産だけ。その分、経験が血や肉となって身についた」と考えるようになり、チキンラーメンの開発を思いつきます。

 



 

戦後の食糧難にビジネスチャンスを確信!

終戦後の日本は、厳しい食糧難に見舞われていました。多くの日本国民は空腹の日々を過ごし、中には栄養失調でなくなってしまう人も数多くいたのです。

 

戦後の食糧難を肌身で経験した「まんぷく」のモデル安藤百福さんは食の大切さを痛感し、食に関する仕事を考えるようになりました。

 

安藤百福さんが麺作りを選んだきっかけは、闇市のラーメン屋台に並ぶ大阪市民の姿と、麺好きな日本人の食生活を重ね合わせたからです。

 

大阪駅近くの闇市に出かけた安藤百福が目にしたのは、1杯のラーメンを食べるために屋台で長い行列に並ぶ人々でした。この光景に、安藤百福さんは大きなビジネスチャンスを確信したのです。

 

「お湯があれば家庭ですぐ食べられるラーメンを作ろう!」と決意した安藤百福さんは、自宅の裏庭に建てた10平方メートルほどの小さな小屋でインスタントラーメンの開発を始めました。

 

必要な道具はすべて自分の足で探し集め、睡眠時間も約4時間という日々を1年続けて研究に没頭し続けたのです。インスタントラーメンの開発で苦労したのが、長期保存とだれでも簡単に食べられるようにすることでした。

 

麺作りには素人だった安藤百福は失敗の連続でしたが、苦労の末に「瞬間油熱乾燥法」を発見し、1958年にチキンラーメンの開発に見事に成功したのです。

 

お湯を注いでたった3分で食べられるチキンラーメンは大評判となり、「魔法のラーメン」と呼ばれて大ヒット商品となりました。

 

このヒットの裏には、欧米型流通システムのスーパーマーケットの登場とテレビの急激な普及も後押ししました。安藤百福は、いち早くテレビ番組のスポンサーになり、コマーシャル制作に熱心に取り組んだのです。

 




 

カップヌードルの誕生

1966年になると、「まんぷく」のモデル安藤百福は世界展開を考え欧米に視察旅行に出かけました。そこで目にした光景が、「カップヌードル」の誕生に結びついていきます。

 

アメリカのロサンゼルスのスーパーで担当者にチキンラーメンの試食を頼んだところ、小さく割って紙コップに入れ、お湯を注いでフォークを使って食べ始めたのです。

 

この様子を見ていた安藤百福さんは、丼も箸もない欧米では食習慣の違いを乗り越える商品開発が必要だと気づき、カップヌードルの開発に取りかかっていきます。

 

容器作りからカップに収める麺の形状まで苦労を重ね、1971年9月にカップヌードルを発売します。特に、輸送中に麺が壊れないようにカップの中間に固定する「中間保持法」。

 

天ぷらをヒントにしておもいついた麺の揚げ方など、安藤百福さんの知恵と工夫、執念が詰め込まれた製品がカップヌードルといえます。

 

安藤スポーツ・食文化振興財団」の設立

1981年に長男に社長を譲って会長に就任してからも、スポーツや食文化の振興など、さまざまな社会貢献に取り組んでいきます。

 

少年少女たちの非行問題に心を痛めた安藤百福さんは、「子どもたちの健全な心身の育成のためにはスポーツによって溢れるエネルギーを発散させるべきである」との考えます。

 

そのため、1983年に私財を投じて「安藤スポーツ・食文化振興財団」を設立しました。陸上競技への支援や自然体験活動の普及に取り組みます。

 

また、発明記念館の運営や新しい食文化の創造に結びつく研究や開発への表彰事業なども実施しています。そして、「まんぷく」萬平のモデル安藤百福さんのモットーは、「創業者に定年がない」でした。

 

95歳で取締役を退任した後も「創業者会長」となって毎朝出勤し続けていました。2007年、96歳で生涯を閉じるまで、まさに生涯現役の人生だったのです。

 

その人生は苦難の連続でしたが、人の役に立つことを求めて最後の最後まで意欲的に挑戦し続けました。世界中の多くの人のお腹を満たし、食で人々を幸せにしたいと願い続けました。

 

安藤百福さんは、近代日本の経済の歴史には欠かすことのできない人物の一人であることに間違いはないでしょう。「まんぷく」でも立花萬平の活躍に期待したいですね。

 



 

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