安藤須磨(鈴/松坂慶子のモデル)が武士の娘って本当なの?

朝ドラ「まんぷく」で今井福子(安藤サクラ)の母として登場している今井鈴(松坂慶子)ですが、実在の人物として安藤須磨(あんどうすま)さんをモデルにしています。

 

朝ドラの中では、「私は武士の娘です。」が口癖の鈴ですが、実際の実在モデルの安藤須磨さんの父は武士だったのでしょうか?安藤須磨さんがどんな人生を歩んだのかと併せて見ていきます。

 

安藤須磨さんは、日清食品の創業者であり3女の安藤仁子さんの夫である安藤百福(呉百福)さんに協力してチキンラーメンを完成させています。

 

ドラマでは、武士の娘ですという言葉と同時に心配性な性格として描かれています。エピソードを見る限り、ドラマでのキャラ設定は安藤須磨さんに近いのではないかとも思えてきますよね。具体的にみていきましょう。

安藤須磨とは?

安藤須磨さんは朝ドラ「まんぷく」の中で3姉妹の母として描かれていますが、実際に安藤3姉妹の母として子育てをし、戦後は日清食品の事業へ関わっていきます。日清食品は安藤仁子さんの夫である安藤百福さんが創業した会社であり、開発に協力していました。

 

その証拠に特許の名義が安藤須磨になっているものもあります。詳しくは後程お話ししますが、チキンラーメンは安藤百福さんだけの開発ではなく、安藤仁子さんや安藤須磨さんらの協力があってこそ完成した商品なのです。

 

安藤須磨さんの夫の安藤重信は、人力車の会社を経営していましたが事業が傾き始めて倒産してしまいます。そして夫に先立たれれしまうという状況に陥いります。

 

3人の姉妹を育てながら、日々の生活を送っていましたが長女の安藤晃江さんも結核によって亡くなってしまいます。結婚して苦労しながらも幸せな人生をと願っていたでしょうが、母親としてつらかったことでしょう。

 

本当に武士の娘だった?

長女の晃江さんが結婚するまでの間、晃江さんは働きに出て安藤須磨さんは後の二人の子育てに励みます。そして戦争を体験していくのです。戦争の中で生き抜くということは、想像を絶する困難が想定されます。

 

現代は戦争を経験していないので、過去の記録からしかその困難を想像するしかありませんが子どもたちは立派に成長していくのです。朝ドラ「まんぷく」では、今井福子が中心ですが母として娘とその家族の成長を見守りサポートしていきます。

 

朝ドラ「まんぷく」の中の鈴は「私は武士の娘です」という口癖を連発しています。ドラマでは、どうせ足軽でしょと言われてしまっていますね。

 

しかし、実際のところ安藤須磨さんの父は鳥取で武士をしている人物でした。父親は江戸時代になるでしょうから、武士といっても戦をガンガンしていたというような時代の武士ではないでしょう。

 





 

チキンラーメン開発

日清食品と言えばまず頭に浮かぶ商品はチキンラーメンです。日清食品の代表的な商品であり、いまだに根強く売れているロングセラーですがこの開発には安藤須磨さんも関わっています。では積極的に事業へと関わったのかと言えば、そういうことでもないと考えられます。

 

安藤百福さんは戦後華僑登録することで、戦勝国民となり特権を得てさらに戦前に持っていた工場の保険金も入り、事業を精力的に行っていました。

 

このまま事業が成功していたら、後の日清食品はなく、チキンラーメンも食べられなかったでしょう。目立つ存在だった安藤百福さんは、在日台湾人への課税をGHQが許可したため逮捕されて有罪判決を受けます。

 

そして追い打ちをかけるように全財産を失い、インスタントラーメンを開発することになるのです。チキンラーメンにはチキンスープが必須ですが、チキンスープ開発にはあるエピソードがありますのでご紹介します。

 

自宅の鳥小屋で安藤百福が鶏をさばいていると、急に暴れだしその際血が次男の安藤宏基にかかってしまいます。この一件から安藤宏基さんは鶏肉を食べられなくなってしまいましたが、安藤須磨がある日チキンスープを作って食べさせると食べたところからスープの味はチキン味になりました。

 

主に安藤須磨さんと安藤仁子さんがスープ作りを担当しています。ここで取り上げておきたいのは、麺を即席麺にする製法である瞬間油熱乾燥法の特許名義人が安藤須磨になっている点です。

 

安藤須磨が即席麺の開発者とする資料もあり、はっきりしたことは今となっては分かりませんが深く開発に関わっていたことは事実でしょう。

 

日清食品に在籍

安藤須磨さんはこの特許名義人になっていることからも、日清食品では特別な地位を築いていたのではと考えられます。安藤百福さんからすれば義母であり、むげにはできません。在籍していた期間は昭和33年~昭和44年の11年間に及びます。

 

チキンラーメンが売れると、類似品が市場に出回り差し止めるために裁判を安藤百福さんは起こしていましたが、会社のためにもと安藤須磨さんが在籍した可能性があるでしょう。裁判が終息するころに退職していますので、安藤仁子さんとともに会社を守っていたものと思われます。

 

安藤須磨さんは長女の安藤晃江こそ病気で失ってしまいましたが、子育てに奮闘して孫にも恵まれて満ち足りた老後を迎えられたと考えられるでしょう。戦争を経験し、復興期に日清の創業を支えた安藤須磨さんという人物は知られざる人物です。

 

今や大企業となっている日清食品ですが、原点のチキンスープやチキンラーメンという商品も安藤須磨さんの協力がなければ完成していなかったかもしれません。朝ドラ「まんぷく」とともに、今一度実際に生きた人物を知る機会としましょう。

 



 

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