三田村会長の実在モデル/杉道助はどんな人物なの?


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NHKの朝の連続テレビ小説「まんぷく」に登場する三田村会長(橋爪功)の実在モテ?ルは、大阪実業界の大物だった杉道助(すぎみちすけ)さんと言われています。

 

このページでは、そんな杉道助さんがどんな人物だったのかを詳しく解説していきます。朝ドラ「まんぷく」でも重要な役割を果たしているので杉道助さんの人物像をみていきます。

 

杉道助さんは、幕末の学者、吉田松陰の子孫なのです。正確に言うと、吉田松陰のお兄さんの杉民治の孫にあたる血筋。吉田松陰は元々は杉家の次男で、吉田家に養子に入ったのです。

 

吉田松陰と言えば2015年のNHK大河ドラマ『花燃ゆ』に登場しました。現在の山口県萩市の松下村塾という私塾で勤皇攘夷思想を教えたことでも有名です。

 

塾生には高杉晋作や伊藤博文、山県有朋など、幕末から明治にかけて日本の歴史的を大きく動かした人物がいます。吉田松陰は安政の大獄で若くして亡くなりました。

 

しかし、彼無しに明治維新はなかったといわれる人物です。後々まで彼を慕う人は多く(神社までありますから)吉田松陰の実家として杉家の血筋は一目置かれていたでしょう。

杉道助は吉田松陰譲りの風格があった人

杉道助は三田村会長と同じように大阪の財界、というより、日本を代表する実業界のリーダーでした。大阪商工会議所の会頭を14年も勤めて戦後の経済を動かして来た人です。

 

「吉田松陰の血筋」と聞いてなるほどと思わせるような国士の風格があった人とか。・・商才を見込まれて大阪で実業家になる

 

慶応義塾大学を卒業後、はじめに就職したのは久原鉱業(久原財閥と言われて、後の日産や日立の前身)という萩出身で慶應義塾出身の久原房之助が経営する会社です。

 

1910年に大阪の綿糸商八木商店の長女と結婚。その時の仲人が武藤山治という人。(その当時は日本の紡績王といわれていましたが、後に政治家、その後はジャーナリストになったという凄い人です)

 

この武藤山治に勧められて、久原房之助の快諾も得て久原鉱業の大阪支店で繊維業を扱う事に。浪速紡織の立ち上げを任され、その後、奥さんの実家である大阪の繊維関係の問屋の取締役になり、それ以来大阪を中心に活躍するようになります。

 

しかし、第一次世界大戦の好景気とその後の不況で、一時は家まで売り払って借家を転々とするなど、随分苦労もしたとのこと。

 

その後は戦中戦後の荒波を乗り越えて日本の経済復興に務め、晩年には中小企業などの貿易を支援に尽力しました。・・・座右の銘は「至誠」

 

孟子に「至誠にして動からざる者は未だこれ有らざるなり(至誠而不動者未之有也)」という言葉があります。「これ以上ないほど誠実な心は必ず人を動かす」という意味で、この言葉から取った「至誠」が吉田松陰の座右の銘でした。

 

杉道助の座右の銘も、この「至誠」だったそうです。杉道助のお祖父さんに当たる杉民治は、吉田松陰と一番仲が良かった兄弟。

 

杉道助は、父親の相次郎が山口県庁に勤めていた時に山口市で誕生しましたが、育ったのは萩の杉家。かつて吉田松陰が生活していた三畳間が自分の部屋だったという話もあります。

 

道助少年は、お祖父さんの杉民治から吉田松陰の思い出をたくさん聞いて育った事でしょう。杉道助は、尊敬すべき大叔父として、また、郷土の偉人として、吉田松陰にかなり影響を受けていたと思われます。

 

彼を知る人は、「国士(国家のために身命をなげうって尽くす人物)の風格がある人」と評したそうですが、お金さえ儲かればいい、という商売ではなく、日本という国の将来を見据えた大実業家だったわけですね。

 

お墓は故郷の萩市にあり、「杉家第八代。生涯松陰を敬慕。『祖先の墓より大きくしない』と遺言を残した」と書かれているそうです。・・少しでも人が幸せになればと思って仕事する

 

ビジネスに役立つ格言や名言を集めたサイトに、杉道助の名言もいくつか掲載されていますが、特に、彼の人柄を表している名言はこれです。

 

「私の会議所(大阪商工会議所)生活は、生涯を通じて一番長い仕事だろう。これは私の性格が多少世話好きなためかもしれない。まあ、少しでも人が幸せになれればと思ってやった結果が、人に世話好きといわれるほどになったわけだ。」と(リーダーたちの名言集)に残しています。

 

世話好きなのは「少しでも人が幸せになればと思っている」から。まさに「国士」の風格のある人の言葉そのものではないでしょうか。

 




 

逮捕されて投獄された経験も

杉道助は、1924年(大正13年)第15回衆議院議員総選挙に出馬して当選した武藤山治の選挙運動の取りまとめ役でした。その時選挙違反の疑いで警察に2カ月近く拘留された経験があります。

 

あまりに政治に疎かったためか、予審判事が読書をするようにアドバイスしてくれて、資本論やマルクス、エンゲルスの著書など、拘留中は毎日熱心に読書に励んだそうです。

 

三田村会長が警察に拘留されていた萬平に同情したのもこんな背景があったからかも知れません。三田村会長のモデルは杉道助 松下村塾・長州人脈を知ると納得します。

 

明治維新以来、日本の政財界で活躍してきた人脈といえば、長州閥と言われる元長州藩の家系です。時代考証的には無理があっても、「もしかしたらあの役どころは?」と妄想するのも楽しいです。

 

例えば、三田村会長が萬平の釈放のために電話する元陸軍大将。日清日露戦争時の陸軍大将乃木希典は杉家の遠縁に当たり、しかも子どもの頃から吉田松陰の熱烈な信奉者だったというエピソードもあります。

 

時代考証的にはちょっと難しいかも知れませんが、ありそうな話だと思いませんか?三田村会長が政府にコネクションがあったのも、モデルが杉道助と考えると納得です。

 

その当時の田中義一首相は松下村塾出身ですし、田中義一首相に抜擢されて逓信大臣になったのは、政治家に転身した久原房之助。

 

萩出身で慶應義塾の先輩、一番最初に杉道助が就職したあの久原鉱業の久原房之助です。知れば知るほど納得の人脈です。

 

ちなみに杉道助は、井上靖の『あした来る人』に登場する梶大助という大物実業家のモデルと言われています。杉道助さんが経済界の大物で吉田松陰の流れをくむことが理解できたのではないでしょうか?

 

このように、登場人物の実在モデルを見ていくと朝ドラ「まんぷく」もより楽しめるのではないでしょうか?ドラマもまだまだ楽しみですね。三田村会長の再登場にも注目です。

 



 

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