このページは、吉本興業の創業者・吉本せいさんの母・林ちよさんがどのような人物なのかについてお伝えしていきます。吉本せいさんに大きな影響を与えたと思われる母親ですので、どのような人物だったのかというのは興味があるあなたも多いのではないでしょうか。
また、現在放送中の朝ドラ「わろてんか」の藤岡しず(鈴木保奈美)のモチーフになっています。なので、後半に実際の林ちよさんと藤岡しずの違い。あるいは同じところなどを具体的に見ていきたいと思います。その前に、まずは林ちよさんがどんな人物だったのかお伝えします。
林ちよはどんな人物だったの?
林ちよさんの情報はあまりたくさんありません。そんな中でわかる範囲のことをお伝えしていきます。林ちよさんは、1864年3月12日生まれ。若くして米殻商を営んでいた林豊次郎さんと結婚します。吉本せいを産んだのは、林ちよさんが25歳の明治25年になります。
当時は、多産の時代で、長男・信之介、次女・きく、三女・せい、次男・千之助、三男・正之助、四男・勝、五男・治雄、四女・ふみ、はな、ヨネ、富子と早くして亡くなった長女を含めると12人の子供を授かっています。
いつも笑顔で、子育てをしていた林ちよさんですが、子供が多かったために決して裕福な家庭ではありませんでした。吉本せいが進学したいと希望をもっていてもそれを反対するしかありませんでした。
せいはすごく頭がよかったのですが、ちよの反対で船場の実業家のところに奉公にだします。夫の林豊次郎は、せいを家に置いていたかったが家計の事情がそれを許さなかったのです。
なので、お財布のひもはちよさんが握っていたことが想像に難くないですね。当時は、完全に男尊女卑の時代です。しかし、しっかりと家庭を支えている妻が手綱を握っている家庭は決して少なくありませんでした。
それは、現在でもそうですよね。父親の方が稼ぎが多かったりする家も多いのですが、裏で母親が権力を握っている家庭というのは実はおおいですよね。林家もそのような側面が垣間見えます。
性格については、諸説ありますがどちらかと言えば、肝っ玉母ちゃんみたいな存在だったのではないでしょうか。これだけたくさんの子供を授かりながら、米殻商の嫁として御寮さんをしていましたので肝っ玉はすわります。
この母親にして、吉本せいは誕生しない。そう思ってもいいのかもしれません。笑顔を絶やさずしっかりとした女性だったことが様々な文献からうかがうことができます。
わろてんかの藤岡しずとの違い
わろてんかの中で描かれている藤岡しずは、おっとりで天然キャラになっていますが藤岡屋の台所をしっかりと仕切っています。そのあたりは、林ちよさんと同様のように思います。
子供たちと父親とお間にはいり話をすすめていく役割をしており、このあたりも林ちよさんも同様の役割を果たしていたことが想像できますね。てん(葵わかな)の笑い上戸や性格。
そして、行動はこのしずから来ていることからも林ちよさんに似せて描いていることがうかがえます。もちろん、完全にモデルにしているわけでもないですし・・・あくまでモチーフとNHKが発表しています。
なので、まったく一緒ではありません。こどもも3人ですしね。12人とかに朝ドラでやたら大変なことになりますしね。ただ、すごく素敵で魅力的な母親であることは間違いないです。
実在人物の性格やどんな人物だったのか知ってから、わろてんかを見るとより楽しく見えると思いますので是非ご参考にしてくださいね。
関連記事