大人気の朝ドラ「あさが来た」のモデルになってはる広岡浅子さんやねんけど、ご子孫は現在どのようになっているでしょうか。
このページでは、そのことにフォーカスを当てていこうと思うねんな。実は、広岡浅子さんには、夫の広岡信五郎との間に生まれた子供広岡亀子さんという一人娘がいんねんな。
広岡亀子さんは広岡浅子さんにとっての一人娘なので、唯一の広岡浅子さんの子孫ということになんねん。広岡亀子さんは、播磨小野藩主の次男の一柳恵三さんを婿養子にもらうねん。
この広岡恵三さんが広岡家の後継ぎになんねんね。そして、この広岡恵三は、後に大同生命の社長になる人物やねんな。その後に、恵三と亀子の息子である広岡喜一も、大同生命の取締役を勤めんねん。
さらに広岡亀子さんには腹違いの兄弟が4人いんねんな。この子たちは、広岡浅子さんの夫である広岡信五郎さんと妾の小藤との間に生まれた子やねん。
生まれ順で長女・篤子、次女・極子、三女・秋子、長男・松三郎がいんねんな。その中でも長男の松三郎については、後に大同生命の社長になってんねん。
小藤と信五郎さんの長女・広岡篤子(ひろおかつたこ)さんについては、加島銀行の頭取となる松井萬緑(まついまんりょく)さんと結婚してん。松井萬緑さんは、渋沢栄一さんの元で勉学をしており、渋沢栄一さんの助けから帝国大学に進学、卒業をしてんねんな。
卒業後は、加島銀行に就職して、やがては頭取までなってまんねん。その頃に、広岡篤子さんと結婚してんねんな。せやけど、昭和の恐慌の中で加島銀行は倒産・大きな借金を背負いながらもつつましく昭和の時代を生き抜いてんね。
二人には、真寿美(ますみ)さんがいんねんけど、財閥に生まれるもその後は、ごくごく一般の女性として暮らしていったそうねん。
大同生命でも長男の松三郎以降には広岡家の手から離れてんねんな。なので、広岡家のその後はここまでが現在わかるところねんな。
情報はこれ以上ないねんけど、朝ドラ「あさが来た」の原作である土佐堀川の著者古川智映子さんが、広岡浅子さんのことを書く上で、子孫のかたにインタービューをしたたと記してあんねんな。
せやから、現在もご子孫の方は存命中だと考えられんねん。次女の極子さん、三女の秋子さんのご子息も現在も活躍してはるんかもしれへんね。
広岡浅子さんの子孫が今後も繁栄しているといいねんな。ひょっとすると、ご子息の方も女性実業家として活躍しているのかもしれへんで。
このようなことを調べていくと、朝ドラの「あさが来た」を見るのが益々楽しみになんねんな。広岡浅子さんをモデルにした、「あさが来た」の今後にも注目していきまっせ♪
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