このページでは、朝ドラ「とと姉ちゃん」の小橋鉄郎(向井理)のモデルになっている実在の人物・宮原満吉(みやはらまんきち)さんについてお伝えすんねな。
また、「とと姉ちゃん」の小橋鉄郎との相違点なども併せてみていきたいと思うねんね。小橋鉄郎は、実在モデルがいててんけど実際とかなりかけ離れた設定になっているのでそこのところについてみていきたいと思うねんね。詳細は後半になります。
宮原満吉(みやはらまんきち)さんの人生とは?
その京都に住んでいた時に、大橋久子さん(大橋鎮子の母)を生んでるんやんね。なので、大橋鎮子さんからしたら祖父になるんやんね。
この、宮原満吉さんはいろんな場所に異動する人生を送ってるんやんね。その後は、群馬に移り住みなんと油田を掘り当てるんやんね。
これが、その後の人生に大きな影響を与えるねんね。そして、その油田のお金を元に北海道の小樽に移り住み宮原牧場や小樽新聞などの経営をしてんねな。
経営は順調そのもので暮らしは裕福やってんねな。当時は、従業員も5人程度いつもいるのが当たり前ってぐらい余裕があってんね。せやから、娘の大橋久子さんは何一つ不自由することなく暮らしてんやんね。
その後も、順調に牧場の経営を行なっていてんけど、大橋久子さんの夫・大橋武雄さんが肺結核で闘病生活。その後、亡くなったこともあり大橋家に多額の仕送りをしててんね。
やがて、娘のために宮原牧場や豪邸だった自分の自宅もを売って、借家住まいになったんやんな。その後も、大橋久子さん一家のことを全力でサポートしてんねな。
大橋鎮子さんや大橋晴子さんが女学校に行くお金などについては宮原満吉さんのサポートがなければ到底どうにもなれへんかってんね。せやから、大橋鎮子さんの活躍はこの人なくしてはなかったと言えるかもしれへんね。
宮原満吉さんは、女学校に通わせてあげることを誇りに思っていてために、大橋鎮子さんの女学校の卒業式には北海道から飛んで見にきてんやんな。なんとしても自分の孫の卒業式が見たかったのでしょうね。
大好きな孫の晴れ舞台卒業式を見たい。そう思って上京したのでしょう。その翌月に、宮原満吉さんは亡くなるねんね。自分の体調を知っていたからこそ、最後に大橋鎮子さんの卒業式が見たかったのではないでしょうか?昭和13年4月、享年72歳やってんね。
とと姉ちゃんの小橋鉄郎と宮原満吉さんの違い!
では、そんな宮原満吉さんのモデルになっている小橋鉄郎はドラマで忠実に描かれているのかというとそんなことはありません。かなり作りこまれた設定になっています。
まずは、基本的なところでいうと、家系については大きく異なるねん。「とと姉ちゃん」では、鉄郎は小橋竹蔵(西島秀俊)の弟という設定になってますよね。つまり大橋鎮子から見たら伯父になんねな。
せやけど、実在モデルの宮原満吉さんは母方の祖父になるねんね。せやから、実在モデルを忠実にするならとと姉ちゃんのかか・君子(木村多江)の父という設定になるはずやねんね。
この点は、大きく異なるねんね。そして、もうひとつ大事なポイントがあるねんね。それは、事業で成功するかどうかという点やねんね。
実在モデルの宮原満吉さんについては、娘の大橋久子さんのために事業を手放しましたが基本的には実業家として成功しています。なので、風来坊ではあるねんけど最終的には北海道に定住してるねんね。
せやけど、小橋鉄郎はなかなかそうもいかない様子やねんね。突然、小橋家にやってきて風来坊のままやねんね。せやけど、鉄郎も実は今後ひと山あてるねんね。その後、失敗を繰り返してしまうねんけども。
この辺りについては大きく違うんかなって思うねんね。実業家と、山師って感じでしょうか?最終的に鉄郎が成功するなんてストーリーもないことはないでしょうか、そのあたりは今後に期待やねんね。
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