坂野通夫は坂野惇子にとってどんな夫だったの?

このページは、NHKの朝の連続テレビ小説のべっぴんさんの実在モデルについて紹介してんねな。その中で、ヒロイン坂東すみれ(芳根京子)と結婚する坂東紀夫(永山絢斗)の実在モデルになっている坂野道夫(ばんのみちお)さんについてお伝えしていくねんね。

 

それと併せて、実在モデルの坂野道夫さんとべっぴんさんの坂東紀夫の違いについても詳しく解説していくねんな。そちらについては後半にお伝えしていますので、お楽しみに。

 

その前に、まず坂野道夫(ばんのみちお)さんがどんな人物だったのか。坂野惇子さんとの出会いはどんなものだったのか。そういったところから詳しくみていきたいと思います。

 




 

坂野道夫はどんな人物だったの?

坂野道夫さんは、大正5年(1916年)生まれで、坂野惇子さんとは2歳差やってんね。出会いは、お見合い結婚やんね。父の佐々木八十八(ささきやそはち)が探してきた見合い相手やってんね。

 

当時、京都帝国大学(現在の京都大学)の2回生だった坂野道夫さんと坂野惇子さんは婚約をし、卒業してから結婚という流れになってんな。坂野道夫さんの父は、三菱銀行に勤務する銀行マン。

 

その後、山口銀行(現在の三和銀行)に転職して総理事になっているという人物やってんな。なので、佐々木家と同様に当時の富裕層として坂野道夫さんも生活をします。

 

坂野道夫さんには、兄に信夫さんがいて信夫さんも三菱銀行の銀行マンやってんな。そのため、坂野道夫さんは、負けず嫌いでプライドが高いという側面をようしててんね。

 

坂野道夫さんと坂野惇子さんは戦後に生活に困ったことがあってんけど、兄弟が援助しようとしてもそれすら乞食ではないと断ったというエピソードがあったほどやんな。

 

せやから、兄弟に対してもそんな感じなので、いかにプライドが高かったがうかがえるんやんね。坂野道夫さんは、大学を卒業と同時に海外で仕事をしたいという思いがあったので、そのチャンスがある大阪商船(現在の商船三井)に勤務しててんな。

 

当時は、まだヨーロッパまで行くのに1ヶ月もかかるそんな時代に、海外で働いてみたいと考えるほどに好奇心は旺盛やってんね。生真面目でプライドが高い側面だけでなくそういったチャレンジ精神が佐々木八十八に気にいられていたというねん。

 

結婚後は、二人で六甲山のふもとにある梅の名所で知られる岡本に住んでてんな。富裕層や文化人が住む地域やってんね。そこに新居を建て生活しててん。

 

戦前にここをよく夫婦で散歩しててんな。そんなときに出会ったのが後のファミリアの創業メンバーの一人になった村井ミヨ子さんやってんね。子犬が産まれたので村井ミヨ子さんにあげるそんなエピソードもあってんな。

 

今でこそそういった夫婦ふたりで犬を連れて散歩というと普通のある光景で仲睦まじく感じると思うが、当時は太平洋戦争直前で周囲から非難を受ける可能性もある。そんな中でも、自分たちの価値観で生きてく強い意志があってん。

 




 

ジャワ島の軍属をする坂野道夫

そして、戦争は始まり激化していくと坂野道夫さんにも招集令状が届いてんな。インドネシア・ジャワ島での軍属としての招集やってんね。軍属なので、戦地に赴くこともなく、ジャワ島であれば死ぬ確率も少ない。

 

そのことを坂野惇子さんと喜んでんな。その後、戦争はどんどん激しくなり日本は敗戦。ジャカルタで終戦を迎えた坂野道夫さんは、占領軍のイギリスと一緒に拘留されててんな。

 

本来は、戦争が終わった時点で船に乗って帰れたのだが、英語が流暢に話せた道夫は、通訳として残ることを命じられてんね。そして、当時のオランダ人をヨーロッパに帰還させるために、日本国籍の「すみれ丸」に道夫は乗ってんな。

 

オランダ人を何度も帰還させる手伝いをする激務を終えて、ようやく道夫も「すみれ丸」に乗って神戸港に戻ってきてんな。この時の船の名前から、べっぴんさんのヒロイン・すみれという名前が誕生したのではないか。

 

坂野道夫さんが戻ってきた時には、岡本の家は空襲で焼けていたので、塚口駅付近の借家に引越ししてんな。そして、坂野惇子さんたちが4人でこども服の事業をするというと、道夫はそのことに賛成してんな。

 




 

坂野道夫が惇子の店を後押し

当時では考えられへんことやってんな。道夫は京都帝国大学のエリート。自分の力で養っていかなければ世間体が悪いそう考えるのがふつうの家やってんね。せやから、坂野惇子さんの話は反対することが普通考えらてん。

 

せやけど、それを反対を一切せずに絶対にやるべきだと後押してん。それは、その頃に道夫が商船三井を退職しレナウンに就職してたこともおおきかったのかもしれへんねな。

 

やがては、その妻たちの会社のお手伝いをするようになるねんな。それは、坂野惇子さんたちがあまりにどんぶり勘定でなかなか利益を上げれていなかったからやんね。服や小物は売れるせやけど、利益が残らない。

 

そんな状況に、道夫のほかにも同じように創業メンバーの夫が協力しててんな。そして、やがて妻の事業は小さなショールームの一角から株式会社ファミリアに成長していくんやんね。

 

株式会社ファミリアになった当時の社長は、ベビーショップ元田で一角を貸してくれていた元田に坂野惇子さんがお願いしてなってもらっててんね。せかけど、やがてファミリアがどんどん大きくなり、元田が名前だけの社長をやめたいと言うんやんな。

 

そこで、登場するのが坂野道夫さんやんね。当時、レナウンでも仕事ができる人物としてどうしても残ってほしいと尾上清社長にも言われて、出向という扱いにできないかなどと配慮を受けてんけど、断って株式会社ファミリアの社長になってんな。

 

その後、株式会社ファミリアが皇室御用達の子供服になったり、百貨店への出店をいくつも手掛けていき大きく成長してんやんな。坂野惇子さんがメインで仕事をしてたから社長になってもよかってんけど、そこは夫をたててんね。

 

こうして、坂野道夫さんは亡くなる平成4年(1992年)の6月2日までファミリアの会長として働いていってんな。それは、77歳という年齢やって坂野惇子さんが亡くなる13年前の出来事やってんな。

 

坂野道夫とべっぴんさんの坂東紀夫の違い

朝ドラ「べっぴんさん」での坂野道夫さんのモデルは、坂東紀夫としてヒロイン・坂東すみれの結婚相手となってるんやんね。せやけど、異なることがすごく多いねんな。まず、紀夫の父は田中五郎(堀内正美)として、貴族議院議員になってんねな。

 

せやから、そこがまずもって異なるねんね。坂野道夫さんの父は、銀行マンですからね。そして、結婚に際しても大きく異なるねん。べっぴんさんでは、紀夫は婿養子として坂東家を継ぐという形になっていてんな。

 

せやけど、坂野道夫さん佐々木惇子さんを嫁にもらって坂野惇子さんになってるんやんね。せやから、ここも異なってはるねん。なんか、この坂野道夫さんと坂東紀夫を見ていると本当にモデルにしてるんかなって思うくらい違ってはるんやんね。

 

仕事についても、べっぴんさんの中では坂東五十八(生瀬勝久)が作った坂東営業部(レナウン)の社長になってるんやんね。実際には、坂野道夫さんはファミリアの社長になってはるんで、ドラマではキアリスの社長になってへんとおヵしいんやんね。

 

また、坂野道夫さんは坂野惇子さんが店をつくることに賛成して後押ししてんけど、べっぴんさんの中では坂東紀夫は大反対するねんな。それをなんとかすみれが説得していくというように描かれてるんやんな。

 

せやから、実在モデルになってはるけどあまりにも違いすぎるってのが印象やんね。優秀なエリートってところだけは一致するかなって思いますが・・・これだけ違うと「とと姉ちゃん」の時のように批判されるかもしれへんって感じてんな。

 

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