坂野惇子の父・佐々木八十八はレナウンの創業者なの!?

このページは、朝ドラべっぴんさんのモデルについて詳しく解説しています。坂東すみれ(芳根京子)の父・坂東五十八(生瀬勝久)のモデルとなっている佐々木八十八(ささきやそはち)がどんな人であったのかについて紹介していくねんな。

 

佐々木八十八(ささきやそはち)は、大きな名声と財力を得た人物やねんね。明治7年5月3日に京都で生まれる近江旧家の出身で近江源氏に連なる一族やってんな。

 

名家に生まれながらも、大きな野心と好奇心を持ち合わせた人物としても有名やんな。そのため、20代で起業して大阪船場で店を出し外国輸入業を行っててん。

 

その当時は、ほかにはいてないような洋館の事務所に、社員にも洋服を着させているという珍しい会社やってんな。和服姿ば全盛の時代で社員全員が洋服を着ているのは、佐々木八十八(ささきやそはち)が初めてやってんな。

 

そのため、当然に目立った存在やってんね。ただ、佐々木八十八がただの新しいもの好きというわけではあれへんかってんね。扱っている商品が外国輸入物だったため、戦略的にそのようにしてんやんね。

 

社員が洋服を着ているということで、それが広告になると考えそのような行動をとらせていてんね。スーツ姿の人たちが街を歩けばそれだけで大きく目立つ時代ですので、そんな広告効果を狙っていてん。




起業した会社が戦後レナウンに!

そんなとこからも、佐々木八十八の商才を感じることができんねな。そして、それが繊維や製造業にも進出し一気に大きな企業になるねん。起業当初は、佐々木営業部という会社やってんけど、それは戦後に現在にも残るレナウン商事になるねん。

 

レナウンと言えば、現在は東証1部に上場している大企業やんね。その創業者が佐々木八十八(ささきやそはち)になんねな。このレナウンという名称についても、佐々木八十八が命名したものやんね。

 

大正11年にイギリスの皇太子がやってきた際に乗っていた船。それこそがレナウンやんね。せやから、佐々木八十八はその船のことを気に行って「レナウン」という社名をつけてんな。

 

後にレナウン社が立ち上げた男性ブランドの「ターバン」もまた、当時の船とかかわっていたころから、レナウン社のい伝統として佐々木八十八が好きだった船というものが一つのコンセプトとして根付いているねんな。

 

大正14年以降は、レナウンを筆頭の番頭・尾上設蔵にすべて任せて佐々木八十八自身は貴族院議員へと政治家の道に進むことになるねんね。この貴族院議員は、廃止になる昭和22年の8月31日まで務めあげてん。

 

佐々木八十八の性格

佐々木八十八さんは坂野惇子さんをはじめ3男3女の子供を授かってんけど、長女と次男を亡くしているために子供たちの健康には人一倍気をつかってんね。佐々木一家は、大阪を嫌って兵庫県に引越しをしてんな。

 

その引越しをした理由も大阪の工業地帯の煙で、子供たちの健康に影響があるのではないかと気にしたことがきっかけやねん。引っ越した兵庫県南東部にあたるこの場所は、六甲山と広い海を見張らせる健康に最適な環境やってんね。

 

特に末っ子の坂野惇子さんについては、健康に気を使って子育てしてんね。毎日、熱を測ることはもちろん少しでも異常があれば学校は休ませる徹底ぶりやってん。それだけではなく、お菓子には菌が入っていないか入念にチェックしてんね。

 

キャラメルのようなお菓子については、徹底的に消毒をほどこしてから食べるという潔癖症やってん。ちょうど、坂野惇子さんが小学校の頃には仕事がレナウンから議員にかわっていてん。




子育てに夢中になる佐々木八十八

貴族院議員になっても、議員の仕事はあまり熱心になれず、当時の佐々木八十八さんは子育てに夢中やってんね。妻の佐々木倆子(ささきりょうこ)さんをなくしてしまうから余計にその気持ちがあってん。

 

そのため、坂野惇子さんはかなり心配性の佐々木八十八の子育てを中心に成長することになんねな。せやけど、この佐々木八十八さんの子育てはちょっと行き過ぎていてんね。キャラメルのことでもわかるようにとにかく心配性。

 

六甲山から吹く風が冷たいという理由で、富裕層が通う学校ではなく近所の公立の小学校に通ってるんやんね。そして、風邪をひいたらいけないという理由で雨が降れば学校を休ませ、風が強ければ学校を休ませる。そんな子育てをしててんな。

 

また、遠足になればお供がついてくるというお金持ちの家ならではの行動から坂野惇子さんは、同級生の子どもたちから距離を置かれることがおおかってんね。佐々木八十八の子育てに夢中になることによって逆にクラスで浮いた存在になる。

 

そんな状況を坂野惇子さんは、相当嫌っていてんな。せやけど、当時は子育ての理論などない。どこの家庭もほとんどは子育てのことを考える余裕などない。そんな時代を生きていたんやんね。

 

せやから、決して佐々木八十八(ささきやそはち)のことを責めることもできひんねな。国民のほとんどが、暮していくのが精いっぱいで子育てに余裕がない。

 

だからと言って富裕層の人たちが子育てについて詳しかったのかというとそれもまた違っている。そんな状況の中で、佐々木八十八なりに試行錯誤して子育てを頑張っていてんやんね。

 

佐々木八十八の死

そんな佐々木八十八さんやねんけど、当時としてはかなりの長生きやんね。なんと、83歳までいきてんな。せやから、明治7年から昭和32年までと長い間その人生を駆け抜けてきてんやんね。

 

また、この佐々木八十八の子育てがあったから、坂野惇子さんが欧米の育児法に興味をもち、それがやがてファミリア創業の想いにつながっていってんね。過保護な父親のおかげでファミリアは誕生したのかもしれませんね。

 

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