朝ドラあさが来たで、あさ(波留)の弟役の今井忠嗣(興津正太郎)の実在モデルとなっているのは、三井高景(みついたかかげ)さんです。
その三井高景さんが広岡浅子さんの家系図上どのような人なのか?経済界の歴史に名を残す活躍をしたのでしょうか?朝ドラあさが来たの話と重ね合わせて見ていきたいと思います。
三井高景さんは、三井高喜(みついたかよし)さんの長男として生まれます。父の三井高喜さんは、すでに三井家の7代目を継いでおり、三井春さんは、姉になります。
ただ、三井浅子(後の広岡浅子)さんから見た血縁関係で行くと、三井高景さんは甥という関係になっています。
広岡浅子さんは、9歳以降はずっと三井高喜さんに育てられていましたので共に育てられた、三井高景さんは弟みたいな存在ではありますね。実際の年齢は、広岡浅子さんの1歳下です。
朝ドラのあさが来たでは、弟としての関係性を描いていますね。なので、本当のところは甥という関係だったということです。
ただ、当時としては一緒に育っていますし、そこまで甥とかって関係性を持っていたかは定かではないですね。
三井春さんにも言えることですが、この3人は本当の兄弟のように育てられたんだと思います。そういった意味では、朝ドラの関係性が正しいのかもしれません。
三井高景さんは三井鉱山の社長だったの?
三井高景さんは、明治5年にアメリカで銀行業務の視察に行きます。3年間当時の大蔵省の吉田清成らと共に視察しました。
父である、三井高喜さんは日本で最初の銀行設立を手掛けようとしていたため、息子である三井高景さんを銀行の本場アメリカで勉強をさせたのであります。
そして、三井高景さんはその後、明治25年に三井鉱山の社長となります。その後、近年まで続いた三井鉱山の礎をきづいた人なのです。
また、広岡浅子さんと成瀬仁蔵が共同で手がけた日本女子大学の目白台の5400坪の土地を学校用地として提供します。それ以降は、日本女子大学にも発起人、創立委員、監事、評議員などを行うことで大きく貢献しています。
つい最近まであった会社である三井鉱山の創業者である三井高景さんは、経済の歴史の中で間違いなくビッグな存在で有名人だったと言えるでしょう。
あさが来たの今井忠嗣との違いは?
前述したように、あさの弟というのが甥というところがまず大きく違いますね。しかし、それ以外は、忠興(升毅)が東京に行くタイミングで、アメリカに留学するところは同じです。
また、あさが来たでは五代友厚(ディーンフジオカ)に深く心酔しています。ただ、歴史の中で、五代友厚とどれだけかかわっているのかは定かではありません。
あさが来たでも今後、三井鉱山の社長になったり、あさが女子大学設立するのに、土地を提供するというところは描かれるのではないかと思われます。
なので、実在の三井高景さんと今井忠嗣が大きく異なることはないと思われますね。今後放送されるあさが来たのストーリーも楽しみですね♪
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