三井高喜は三井銀行の初代頭取なの!?

広岡浅子さんの家系図の中で、特に目を引くのが三井高喜(みついたかよし)さんの存在です。そのとてつもない大きな存在の三井高喜さんについてお伝えいたします。

 

朝ドラあさが来たで、ヒロインあさ(波留)の父である今井忠興(升毅)の実在モデルとなっているのが三井高喜さんです。

 

その三井高喜さんとは、どんな人物なのでしょうか?朝ドラあさが来たの話と比較しながらお伝えしていきたいと思います。

 

あさが来た今井忠興さんは、ヒロインあさの実の父の設定となっていますが、三井高喜さんは実際は、広岡浅子さんの義理の兄になります。

 

広岡浅子さんの実際の父は、三井高益(みついたかます)さんなのですが、広岡浅子さんが生まれたときには、すでに隠居に入っており、義兄の三井高喜さんが三井家を継いでいました。

 

父の三井高益さんは広岡浅子さんが9歳の時に亡くなっています。広岡浅子さんが9歳から加島屋に嫁ぐまでの間は、三井高喜さんが父親かわりとして育てています。

 

そのため、実際の血縁関係は義兄なのですが、育ての父のような存在として、加島屋に嫁入りした後も炭坑のことなど様々なことを相談しています。

 

なので、広岡浅子さんの実際の父である三井高益はあさが来たでは、今井忠政(林与一)さんのモデルとなっていると思われます。

 






そんな三井高喜さんは、明治維新の際に三井高福と協力し、新政府側の資金を調達に尽力します。

 

三井高福とは、三井総領家のリーダーの一人で、第一国立銀行の頭取、三井物産、三井銀行を起こして、三井財閥を形成の礎をきづいた人物です。

 

三井高喜さんは、高福らと共に、明治9年に三井銀行の創業に尽力します。そして、三井銀行の重役に就任しています。それから9年後の明治18年には総長(頭取)にもなっています。

 

銀行設立後も三井高福らと共に、長らく三井家を支える中心人物として活躍します。そのため、三井高喜は三井財閥の礎をきづいた人の一人と言えるでしょう。

 

特徴としては、先を見る目に優れていて几帳面な性格です。まめに日記をつけており、自筆の日記は40冊を超えるほど、たくさん日記を残しているといいます。

 

このような経済の歴史を見ると、あさが来た忠興三井高喜さんをかなり忠実に再現していることが伺えますよね。

 



 

ただし、あさが来たでは日本初の銀行を創るのが忠興になっています。なので、銀行の創業者が忠興になってくるように思います。

 

その辺りは、実際の三井の歴史とは違っていますね。日本初の銀行は、第一国立銀行で三井と小野が共同で設立しています。そして、両方から一人ずつ頭取を出していて、三井では、前述している三井高福が初代の頭取に就任しています。

 

その後、三井は政府の無理難題(担保のお金を大幅に増やされる)ことがあり、民間の独立銀行を日本初めてつくります。

 

その銀行が三井銀行なのです。その三井銀行設立に尽力したのが発起人で創業者の三井高福と共に三井高喜なのです。なので、三井高喜さんの力も大きかったこどが伺えますね。

 

現代までずっと続く三井財閥の存在は、三井高喜の存在がなければなかったのかもしれません。それぐらいに三井高喜さんは偉大な実業家の一人ですね。

 



 

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