近藤正臣さん演じる正吉の演技が評判になっていますよね?正吉は、現在大人気の朝ドラ「あさが来た」で、ヒロインあさ(波留)の義理の父です。
個人的には、正吉の演技は少し大げかなって思える部分もありますが、とても味がある演技だなあって。そんな、あさが来たの正吉の実在モデルとなっているのが広岡正饒(ひろおかまさあつ)さんです。
では、広岡正饒さんとはどんな人物だったのでしょうか。まずは、系図を朝ドラと比較しながら見ていきたいと思います。その後に明治維新での影での活躍などをお伝えしたいと思います。
広岡正饒は、広岡とらと結婚して、婿養子として広岡家に入ります。婿養子なので、実は加島屋は、とらが裏で実権を握っている状況でした。しかし、広岡信五郎さんや広岡正秋さんは、正饒ととらの息子です。
この辺りは、朝ドラあさが来たとは異なりますよね。まず、正吉は婿養子ではありませんので、異なっています。おそらく、この婿養子をモデルとしているのは山王寺屋の大眉家かなと思います。
天王寺屋の当主であった眉山栄達(辰巳琢郎)は、菊(萬田久子)の婿養子として描かれていますよね。栄達は菊に頭が上がりませんよね。なので、おそらくそうなのかなと思います。
広岡正饒は、明治2年に63歳で亡くなるまでの加島屋の当主を務めます。この江戸から明治という激動の時代での両替商は、朝ドラでも描かれていますが本当に厳しい時代でした。
加島屋は新選組が天敵?
そんな、加島屋の当主・広岡正饒が大名貸しで最も貸出しをしていたのは、長州藩でした。しかし、長州藩は江戸幕末を討幕しようと動きだしていたことで朝敵とされます。
しかも、幕府との戦「禁門の変」に負けていますので、取り調べを受けます。その際に、加島屋も大きなお金を長州藩に貸していたために、加島屋が長州藩とつながっているのではないかということで、広岡正饒さんも取り調べを受けたのです。
その江戸幕府の取り調べをしたのが泣く子も黙る新選組です。広岡正饒さんは新選組に厳しく取り調べを受けたのです。
結果としては、裏から江戸幕末にお金を渡したことで、加島屋は事実上の無罪になったのですが、広岡正饒さんはその後も長州藩と親密な関係でお金を貸しだします。
そして、時代は薩長同盟から明治維新へと向かっていきます。そんな頃に、新選組の近藤勇と土方歳三が加島屋にやってきます。
加島屋と長州藩とのつながりが新選組に知れてしまったのかとヒヤリとしまたが、新選組の用事は、お金を加島屋に借りることでした。なので、なにくわぬ顔をして広岡正饒さんは、新選組にお金を貸しだしています。
あさが来たでは、新選組はお金を借りにくるところだけが取り上げられていますが、実際は、新選組に取り調べを受けていたりと加島屋にとっては、かなりの因縁の相手だったのです。
朝ドラでは、土方歳三にあさ(波留)がお金を返してくれることを約束して帰りましたよね。実際は、捕まえられるかも?そんなにハラハラドキドキの状況でのお金の貸し出しだったのです。
長州藩とは、今の金額になおすと87億円もの金額の取引をしていますので、加島屋の存在がなければ明治維新はなかったのかもしれませんね。そういった意味では、加島屋とりわけ、広岡正饒さんは明治維新の影の立役者といえるでしょう。
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